日記的なもの

すすめ!

呪い

最近自分は今まで何にとらわれていたのだろう、と思うことが多い。
自分で自分を縛って生き辛くしていた。
私を縛っていたものは望みだったのだが、それは、叶おうとして初めて目に見える存在になった。目に見えたから解くことができたのだ。叶っていないからまだ完全にほどけてはいないのだが。

愛される、と自分を肯定できると思っていた。私を愛してくれている人の中で私は絶対的な存在になると思っていた。なぜそう思っていたかというと、私自身誰かを好きになるとその人を絶対的な存在に祭り上げていたから。その人は私を肯定してくれる。だから私はこの世界に生きていることを許される、そう思っていた。誰にも愛されないと生きていてはいけないような気がした。愛してくれれば誰でもいいと思っていた。

でも、違った。好きではない人が私を好きになってしまった。なんとも居心地が悪い。しかも、少し前までちょっといいな、と思っていただけに居心地が悪い。
自分が好きな人が自分を好きになってくれるなんて、一生来ないんじゃないかな。
これもまた呪い。

そういえば、もう一つ好きになるということについて思ったことがある。好きになるということは好きな人の中に本質的な何かを見つけることだと思っていた。その人唯一の何かを。
しかし、そうではないかもしれない。単に好意の相乗効果なのかもしれない。私たちは人を好きになるのではなく、関係性を好きになるのかもしれない。だとしたら、人の中に本質的な何かなど存在せず、人なんてただのブラックボックスなのかもしれない。つまり、誰かに好きになられても、それは全く存在の肯定にはならない。これも呪いを解くような発見だったが、新たに呪いをかけてしまったような気もする。

それでもこの人を恋人にするのを無理ってなることもあるからなあ。一定のラインが存在するのは確かだ。
大森靖子の歌詞を思い出した。

オリジナルなんてどこにもないでしょう
それでも君がたまんない

まさにそうなのかもしれない。本質的な何か(オリジナル)などはどこにもない。単に関係性を愛していて、あなたはブラックボックスなのかもしれない。それでもやっぱりあなたがいい。
矛盾かもしれないけど。いや、矛盾にこそ本質かもしれないと最近様々な場面で思う。一貫性など作為的なものではないか?