日記的なもの

すすめ!

めんどくさがりの憂鬱

嫌いなものを批判しても意味はないし、醜いのでやめます。

そういえば、思考の癖というのがあって、わたしの場合ネガティヴとめんどくさがり、特に後者がひどい

さっき 嫌いなものを批判するのは「意味がない」と書いたが、これがそもそもの元凶。

意味がないことはしたくないしできるだけ無駄がなく物事をしたい。めんどくさいから。

しかも、今まであんまり挫折してこなかったせいで、勝手にまあいけるだろう、と努力を最小限に抑えようとしていたら、下限を超えて、単位を落とす、ということを大学に入ってからしてしまった

猛省。

再履修めんどくさすぎ秋が来てほしくない夏は多分今年が初めて。

めんどくさがりにはもっと深い問題があって、

最近深く考えすぎるようになって、本当に意味があるものなんてないんじゃないかなと
生きるってめんどくさい
わたしは無力でどんなに大変な人がいても助けてあげられる能力も元気もない
生きている意味あるのかなーと思う

意味は自分で見つけるものだと言われたけど
生きている意味を何かに投影する行為は重すぎない?
多分みんなこんなこと考えてないんだろうな〜
だから生きていられるし、心も健全である

こんなこと考えてる自分はみんなと違うから生きてちゃだめなのかな、と感じてて
(これは感じるというか認知に近い)

それはむしろ逆なのかな、と最近気づいた
大学の先生が、感想シートみんなが同じことを書いてても何も面白くない、みたいなことを言ってて、その人だけが書けることを書く方が面白い、らしい。
ああ、なるほど、

別に大した話じゃないけど、なんかストンと心の枷が落ちた

だから、どもりが、内翻足が、それぞれの存在する理由なのかと

目から鱗が落ちました、